2017.4.16

エクステリア

久野和雄

NICHIESU

屋外家具は産業革命の申し子

写真:マネ チュイルリー公園の音楽会
原画所有者はロンドンナショナルギャラリー

上の絵は印象派の巨匠マネが1860年ごろ描いたチュイルリー公園の音楽会という絵です。この絵の前面に椅子が見えます。色、フレームの太さから木製の椅子と思われますが曲線を多用した装飾的なデザインになっています。これは近代家具産業の父、オーストリアのトーネットが開発した曲木の椅子です。曲木の技術を可能にしたのは産業革命がもたらした蒸気と鉄の型の出現です。

写真: ロートアイアン家具 History of Modern Furniture by Karl Mang Harry NAbrams,Inc. New York 1979

上の写真に写っている椅子はモノクロで色はわかりませんが、フレームの太さから鉄の家具です。

写真:19Cフェルモブカタログ

上の写真は弊社の取引先のフランスFERMOB社の前身の19世紀末ごろのカタログです。この会社では産業革命により安価に大量に製造できるようになったスティールを鍛造して家具や什器を作り出したのですが、家具は当時流行の先端であったウィーンのトーネットのスタイルを踏襲したようです。軽量で強靭で加工が容易なスティールの特徴を生かして装飾的なモチーフの屋外家具が誕生しました。
19世紀のパリ万博では産業革命により出現した先端技術による工業、芸術を各国が誇示する展示でしたが、おひざ元のフランスは技術先進国英国を意識してスティールの特性を存分に発揮したエッツフェル塔を建設しましたが、その同じ技術で最初の屋外家具もフランスから誕生しました。
その後20世紀にはいりますが最初の半世紀において屋外家具の進歩は足踏みをします。理由はこの間に第一次、第二次の大戦が起こり、平和な時代ではなかったからです。しかしこの間に軍需開発の為、先端素材開発は一気に進展し、そこで現れたのがアルミとプラスチックです。二つの大戦を経て、各国は最も重要な武器は航空機であることを認識し鉄よりはるかに軽量でかつ強靭なアルミの製造方法を確立します。ようやく第二次大戦が終了しますが、最後に核兵器を使用したことは、第3次の大戦の結末には人類滅亡の風景も垣間見え、その後今日まで大戦は起こらないようになりました。
しかしこのことが戦闘機需要に依存していたアルミ産業が平和な民生用途を開拓しなければ生き残れない事実を認識することになり、今日のように建材、自動車から身の回りにある家電製品、飲料缶にいたるまで広く普及する大量に安価に製造する技術を確立しました。

写真:アルミ家具 ©ニチエス

ここでも平和な民生用途としてはいち早くアルミのパイプとアルマイト技術を生かし錆びない、軽量で持ち運びに便利なアルミ製屋外家具が登場します。そして、この家具は戦勝景気に沸きモータリゼーションの発達により都市郊外の戸建て住宅に移り出したアメリカにおいて爆発的に普及し、今日まで屋外家具のスタンダードな素材となっています。

写真:プラスチックの家具 ©ニチエス

プラスチックも第2次大戦以降平和な用途に広く普及し、家具においてもミッドセンチュリーのイームズやパントンの作品に見られるように多く使われるようになりますが、屋外使用には紫外線対策の開発が必要でした。1970年代後半までにはこの問題が解決されると80年代は一気にプラスチック製屋外家具の時代になります。プラスチックは加工法にインジェクション成型、ブロー成型、押出成型と多彩でデザイナーの意匠を自由に表現できる自由さがあり、大量生産が可能で、安価に製造でき、メンテナンスも楽なので理想的な屋外家具素材といえます。

写真:チーク家具©ニチエス

しかし屋外家具のように消費者にとって遊びや夢といった要素が重要な場合、合理性が全てでは無く、90年代になると余りにも普及するプラスチックへのイメージがチープで人工的と映り、一転ナチュラルで高級感のあるチーク製の屋外家具へと人気は移ります。
しかしそのチークも主要生産地のミャンマーやインドネシアの政情不安や乱造による品質低下、熱帯雨林の保護に見られる地球環境問題への意識の高揚と共に人気は徐々に後退し、21世紀に入ってからは耐食性に優れた金属フレームに最先端の樹脂技術を職人による手作業で仕上げるハイブリッドなウーブン(編み)ファニチャーが屋外家具の主流となっています。

写真:©DEDON
写真:©DEDON

過酷な屋外環境には絶えず最先端な素材が求められています。

次回の第三回は4月23日(日)に掲載予定です。
引き続きお楽しみください。


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