2017.6.25

こだわり

八岡史郎

Artis

日本のお風呂の歴史

私、高機能アクリルバス「アルティス」ブランドマネージャーの八岡と申します。今回、アーネストブログのコラム「洒洒落落」では、

第一回 日本のお風呂の歴史
第二回 世界のお風呂文化と浴室の関係
第三回 アルティスのこだわり
第四回 至福の時間

の4トピックスから、アルティスならではの「至福の時間」をご提案できたらと思っております。

第一回は、日本のお風呂の歴史を私の勝手な視点でお話しさせていただきます。

火山島である日本には、全国様々な場所で天然温泉が湧いております。大昔は、そんな天然温泉に直接入浴しなかったそうです。これらの天然温泉の蒸気を、自然の洞窟や岩屋に溜めて「蒸気浴」として利用していたそうです。今で言う「サウナ」ですね。

現在のお湯に浸かる入浴スタイルは、9世紀の仏教渡来と共に中国からやってきたといわれています。当時、仏教では入浴は「七病を除き 七福を得る」と説かれ、「体を洗い清める」という大切な業の一つと言われており、寺院では浴堂が備え付けられるようになりました。そして浴堂を持っていない一般庶民にも開放していたことから、入浴する習慣が一般大衆にも広まっていきました。

また、宗教的な理由での入浴ではなく、純粋に入浴を楽しむためことが一般大衆に広がったのは、銭湯が登場した江戸時代になってからと言われています。しかしこの頃はまだ、膝から下をお湯につけ上半身は蒸気で蒸す蒸し風呂「戸棚風呂」が主流でした。首まで浸かるお風呂は「据え風呂」と呼ばれ、17世紀になって初めて登場しました。地域的な広がりとして関東では、桶の内側に鉄製の筒を立てて下から薪で沸かす「鉄砲風呂」が江戸を中心に広まりました。また関西では、桶の底に平釜を付けてお湯を沸かす「五右衛門風呂」が普及しました。

(写真 五右衛門風呂)

その後、時代は明治になって、蒸し風呂が姿を消し始めます。蒸し風呂は蒸気が外に漏れないように作られておりました。その為、風呂の出入りは「ざくろ口」という小さな戸を設置しておりました。明治に入り、大衆のライフスタイルが変化することにより蒸し風呂のニーズが減少したのでしょうか。蒸し風呂から浴槽いっぱいにお湯が張られたお風呂に代わることによって「ざくろ口」を設置する必要性が無くなり、高い天井や広い洗い場を備えた自由度の高い浴室が広がりました。大正から昭和にかけて、銭湯はますます近代的になります。洗い場と浴槽は木製からタイル張りへと変化し、水道式のカランが付けられたのは、昭和2年ごろと言われております。

(写真 昭和の在来風呂)

そして、銭湯から一般家庭にお風呂が普及したのは高度成長期の昭和30年代後半からと言われています。一般家庭にお風呂が普及し始めた頃の日本の浴室は、大工さんや職人さんが防水処理を施した空間にタイルを張って浴槽を設置するような建築空間でした。それが近年では、短工期で漏水のリスクが低いユニットバスが増え始め現在では日本の浴室の実に9割以上がユニットバスとなっています。

(写真 近年のユニットバス)

このユニットバス。実は日本独自の工業製品で、海外ではあまり流通されておりません。それは海外の建築業界の構造やお風呂文化が日本と違うことが主な理由だと私自身は考えております。この場で海外の建築業界の構造をお話しするのはあまりにも堅苦しくなってしまいますので、第二回の「世界のお風呂文化と浴室の関係」でお話ししたいと思います。

ライター:八岡 史郎(ヤツオカ シロウ)

株式会社アベルコ
ブランド統轄部 アルティス ブランドマネージャー

1969年 東京生まれ
大学卒後、建材の専門商社である株式会社アベルコに入社し、2002年に立ち上げた高機能アクリルバスブランド「アルティス」に参画、2014年にブランドマネージャーに就任し今に至る。


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