第一回│復興の一歩
2020.9.7
オーナーズ
村田憲治
村田漁業
復興の一歩
当社は宮城県気仙沼で明治41年に鮮魚仲介業として創業以来、これまで一貫してマグロを取り扱って参りました。
東日本大震災によって、所有する遠洋鮪延縄漁船は6隻から2隻となり、本社を含め工場や倉庫など10カ所が全壊の被害に遭いました。震災から来年で10年。節目の年にようやく本社も完成となり、ひとまず復興プロジェクトは最後となります。
今回、その本社を設計頂いたご縁で、アーネストさんのブログにご寄稿をさせて頂くこととなりました。震災から10年の歩みと共に当社の取り組みをお伝えできればと思います。
東日本大震災によって加工場や製氷工場が大破。計10箇所の工場や倉庫が被害を受けました。本社は鉄筋コンクリート造だったため倒壊は免れましたが、防潮堤の再建による区画整理で取り壊しを余儀なくされました。
当時、倉庫内にマグロやカツオが約400トンあり、倉庫の被害損害だけで2億円以上。天災ということで何の保証もありませんでした。また、腐敗してしまうため衛生的にそのままにしておけず、地震後すぐに処分しなければなりませんでした。大切な商品が重機でごっそり持ち上げられる姿は切なかったですね。負を背負っての復興です。
でも、黙々と瓦礫の片づけをする従業員の姿を見たときに、絶対に元に戻してみせると決心しました。ただ、失業保険の給付のために従業員を一時解雇せざるを得なかったときは、本当に辛かったです。社員は一旦解雇というかたちを取って失業保険で生活をしていただき、会社を稼動させることができるようになった時点で、再雇用しています。その間、労働基準で認められた1日4時間の勤務時間を守りながら復旧の作業を進めてもらい、従業員のほとんどが会社に戻って来てくれ、嬉しかったです。
従業員の頑張りもあり、その年の8月に製氷工場を復旧させることができました。漁には鮮度を保つため大量の氷が必要です。製氷工場ができないと気仙沼に船が帰ってくることができません。沿岸の小舟はかなり被害に遭いましたが、遠洋に出ていた多くの船は無事だったため、製氷工場の再建は急務でした。
気仙沼の復旧は早かったと思います。氷もですが、油の施設だったり、食料の供給とか。市場は6月から稼働するなど、そういう面ではみんなすごく頑張っていました。
そして、マグロの加工工場が11月に復旧させることができ、年末のギフトになんとか間に合わせることができました。マグロの加工工場が完了した時点で、会社を稼動させることができ、なんとか震災前の業務体型で運営できるようになりました。