2016年2月アーカイブ

江戸指物師の息吹を感じるニシザキ工芸「匣屋深川ショールーム」




ニシザキ工芸様は1923(大正12)年に江戸指物師と創業し、和家具全般の製造卸へと業容を拡大し、現在は空間に合わせた造作家具からオーダーキッチンを家具塗装、アンティークや文化財の修復までを手掛けておられます。塗装技術が大変素晴らしく、弊社でも絶大な信頼を寄せているパートナー企業です。
今回は、古くからお付き合いをさせて頂いている、ニシザキ工芸様のショールームをご紹介致します。






ニシザキ工芸様の「匣屋深川ショールーム」は2015年の4月にオープンされ、自社ブランド匣屋深川の造作家具やオーダーキッチンを見ることが出来るスペースになっています。弊社、アーネストもそうですが、建築設計事務所の設計士は以前のお仕事の実績で、ニシザキ工芸様がつくる造作家具やオーダーキッチンの素晴らしさを実感し、お客様におすすめするのですが、お客様からは「実際の施工例を見てみたい」とのご要望が多く、その声に応えてショールームをオープンしたそうです。


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粋な和モダンテイストの匣屋深川ショールームは、入り口には暖簾が掛かり、扉は年代物の引き戸が使われています。今の仕様では高さが足りないため、鉄の部分は後から足したもの。それにアンティーク塗料で鉄が劣化したような風合いを付けたそうです。間近で見ても分からないほど味がある仕上がりに驚きました。






中に入り目に留まったのは、雅な紫色に輝く和家具。江戸指物師として創業され、和家具を扱ってきたニシザキ工芸様らしい一品です。こちらの家具のシリーズは一流デパートに卸していたそうですが、塗りを担当していた職人さんが亡くなられたことにより、今は一旦お休みをしているとのこと。でも、日本の伝統工芸である和家具を残したいと、お神輿の職人さんなどに声を掛け、再開に向けて動き出しているそうです。再開が待ち遠しいですね。


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匣屋深川ショールームではオーダーキッチンの実例と造作建具の実例がご覧いただけます。
写真の左側はキッチン収納になっていて、右側は男性用のクローゼットの提案となっています。弊社のお客様もクローゼットにこだわる方が多くいらっしゃいます。ファッションにこだわる方は、クローゼットにもこだわる方が多いように思います。


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造作家具の提案を行った右側の扉を開けるとオーナーの世界が伝わります。こちらのクローゼットの持ち主は、大きな外国商船の船長でコーヒー豆を運んでいたという設定。なので、思い出深いコーヒー豆を詰めていた麻袋を壁面に張っています。オーナーの想いを汲み取り、カタチにすることが出来る造作家具からこそ、クローゼットを開くと感じるノスタルジーな雰囲気を漂わせることが出来るのでしょうね。造作家具の魅力は細部までとことんこだわることで生まれる、愛着ではないでしょうか。


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男性のクローゼットのオーダーだと、時計やメガネ、カフスなどの小物類の収納にこだわりを持たれる方が多く、こちらの元外国商船の船長はネクタイを丸めてしまうタイプの方のようです。オーナーの設定も細かい訳ですね(笑)。






続いてキッチンのご紹介。ニシザキ工芸様のオーダーキッチンは細部まで徹底的にこだわることが可能です。キッチンのオーダーは千差万別。お客様の好みに合わせるので、どんな仕様も対応可能です。なので、ショールームで展示するキッチンは江戸指物師職人からスタートしたニシザキ工芸様らしい、和のテイストを現代の仕様に織り交ぜた和モダンな装いに。茶釜が何とも言えない趣きを演出しています。


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ダイニングテーブルに使用した天板は空洞があるため本来なら捨ててしまう木材ですが、空いている穴の部分に樹脂や金属(スズ)を溶かし入れることで、自然に出来た模様を活かし、味わいのある景色をつくっています。天然素材に手を加えることで生まれたデザインは世界にひとつ!まさしくオーダーキッチンの醍醐味ですね。


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奥が樹脂、手前は金属(スズ)を流し込んでいて、テーブルのアクセントに。


展示されているキッチンはアメリカの高級キッチン機器VIKINGに合わせたレンジフードやスペインから来たDEKTONをカウンターの天板に使うなど、最新素材を取り入れています。DEKTONは、天然石を砕いて樹脂で固めているので人口大理石や石よりも強度が強く、熱い鍋をそのまま置いても大丈夫!また、コーヒーやワイン、錆などに対しても高い抵抗性があり色滲みすることなく、簡単に拭き取ることができ、お手入れも簡単です。


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素材からディティール、使い勝手に至るまで細かなイメージやどんな要望もカタチにしていくのがオーダーキッチン。自分自身がどんな生活がしたいのか、住まいや暮らしに対する気持ちが漠然としていてまとまらないという方は、まずキッチンからはじめてみてはいかがでしょうか。理想のライフスタイルが見つかる早道になるかもしれません。


理想のライフスタイルを見つける設計のお手伝いは、アーネストアーキテクツにお任せください。もちろん、ニシザキ工芸様の造作家具やオーダーキッチンを取り入れたご提案もさせて頂きます。






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小学館発行のとっておきのキッチン&インテリア案内
「 REAL KITCHEN&INTERIOR SEASON IV 」の表紙を匣屋深川ショールームのキッチンが飾っています。


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職人さん達




これまで拙いブログにお付き合い頂きありがとうございました。
今回が最後回になりますが、弊社の仕事に最も関わりのある職人について触れてみます。


大学の名物教授に歴史考古学者の樋口清之先生が居られ存命中に古代より、近世に至る士農工商の工の話しを講義と学外の雑談で学ぶ機会を得ました。特に土木、建築の話では電気も重機もない中世の時代にソロバンと曲尺、水を入れた四角な箱と糸だけでトンネルや水田、用水、城壁等を設計した話。又飛鳥時代の工人達は、木の癖を読みこれを適材適所に使用して巧みな木組みを以って奈良法隆寺を初めとする古代社寺建築を造り上げ1300年を経て尚、現存しているといった話でした。
特に日本は建築には最悪の環境で地震、台風、高い湿気等に耐え、世界最古の木造建築を成し得た職人の知恵と技術の話に感銘し、今の仕事に繋がっているとも思えます。


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法隆寺のヤリガンナ


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古釘で製作中のヤリガンナ






弊社の仕事で大切な事は職人達との意思の疎通です。特注家具を工場で製作し、塗装工程を経て現場で取り付けをする。これ等作業はそれぞれ専門の職人達の腕に依ります。
これ以前に家具の設計を要しますが、完成時の評価は設計と製品と施工の総合力で判断されます。どの部分が欠けても完成評価は下がってしまいます。






今ではその気質にも慣れ、どんな事でも相談し頼れる職人達ですが、30年前に工場や現場で相対した時は、無口で気難しく言葉の通じない相手に閉口したものでした。
よく「職人は人につく」といわれますが、自らの技量を正しく評価し、価値観を共有できる相手に対しては肩書きや年齢に関係なく最大限の技量を発揮してくれます。私も多くの窮地を彼らと相談し、知恵を出し合い技術を頼りに乗り越えてきました。






仕事柄、家具や建築関連の職人さん達とは親しく付き合ってきましたが、彼らを取り巻く環境は厳しさを増すばかりです。古来より日本は物つくりで栄えてきた国です。経済の長期低迷とデフレ脱却を果たせないまま価格破壊は全ての業界に津波となって押し寄せました。価格破壊は人間の想像力も物を見る目も破壊しつつある様に思います。
破壊された跡にはどんな光景が広がっているでしょうか。
未知の世界で最終的に力になるのは、やはり人と人との信頼ではないでしょうか。今、物づくりを通して私たちが考えなくてはならない事は物事を正しく評価出来る目を養い、自分の価値観を一人一人が確立していくことが、大切なことだと思います。






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野鍛冶さん



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父の愛した竿師手作りの和竿








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趣味の世界




会社を興して今年で36年になります。
この間、会社の進路を決めるY字路に2回出会いました。右を取るか左を取るか。この時の判断の最後の指針は経験と情報に基づく勘が頼りになります。現代人は勘が鈍くなったと云われます。生まれたときから転ばぬ先の杖が張りめぐらされ危険を含む察知能力を必要とせず、本来備わっていたこれら動物的本能を退化させてしまったからでしょうか。




私は小さい頃から深山渓谷を走りまわっていました。父が釣り一筋に生きた人で普通の子供が遊びに行く動物園、遊園地とは縁がなく、20代のときに父の友人である「つり人社」社長、竹内始万氏の釣りのお供をさせて頂いた事も私が渓流釣りにのめり込むきっかけとなりました。
氏が常に口にしていた事は、自然に対する敬意といたわり、そして釣り師としてのマナーでした。釣友同行者と川辺に立つ全ての人への気配り、そして必要以上の釣果を求めず、特に自然環境の保護には釣界の公人として1973年に亡くなるまで自らの行動をもって警鐘を鳴らし続けた人でした。


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関東地方では渓流釣りは3月から9月までが遊魚期間でそれ以外の月は禁魚となります。雪代の混じる冷たい早春の川から秋の雨の降り続く濁って増水した川など渓流は危険な場所です。
朝、川に入り山女、岩魚を代表とする渓流魚を追って上流へ向かって一日10キロ程川を遡ります。
ベテランになればなるほど餌釣り、毛ばり釣りを問わずその川での自分のポイントを持っています。その瀬、その淵で竿を振れば必ず釣れる自分だけのポイントです。しかし、危険はそこに潜んでいます。無理をしてでもそこへ行きたいのが釣り師の真理ですが、崖をよじ登り急流を渡れる体力を過信し、事故は起こります。私も30年前に二人の釣友を川で亡くしています。


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早戸川源流域






秋の川では熊やマムシにも要注意ですが、私は50年前多摩川の支流の大丹波川源流で漂泊の民と呼ばれたサンカ(部落民)を見かけたことがあります。奥には行くなと注意はされていましたが。


こうした危険と隣りあわせであるのに渓流釣りは基本的には終日一人きりです。魚は敏感で気配を察すると半日石の影に隠れて出てきません。川で先行者の人影を見たり岩の上に濡れた足跡を発見した時は諦めて場所を変えるか、足跡を見ながら先行者が見落としたポイントを探って餌や仕掛けを変えながら拾い釣りをしてゆきます。魚の生態を知り、勘を養うと云う意味ではこちらの方が楽しい場合があります。自然の中で安全に一日を楽しく過ごす為には事前の調査と現地での細かい観察が必要です。川相の状況、水の色、水量等特に上流部にダム、堰堤がある川では水温、水流の変化に注意が必要です。放水の前後では川相が変わって身動き取れなくなることもあるからです。






釣果につながる観察では水中の石浦に宿る川虫の種類と朝夕川面を飛ぶ羽虫の状況、さらに上流に養魚場、養鶏場等ある場合にはそこで使われている餌がこの川での最適な餌となります。毛ばりも生き餌もいかに自然に見せるかが大事です。山女、岩魚は悪食で貧欲ですが、口に含んでもかすかな不自然さを察して吐き出してしまいます。例えば雨降りで川が濁った日はキジ(ミミズ)が最適です。崩れた護岸から多くのキジが流れて魚は警戒心を解くからです。


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伊豆大見川中流域






単に魚釣りですが自然の変化に対応する判断と行動力、水中の魚との心理戦、状況に合わせた道具や餌の使い分け等、遊びの中からでも得ることは多く、若い頃に竹内氏から学んだ人や自然への限りない思いやりと共に今では私の血肉の一部になっている様にも思われます。








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原点に戻って




年明けから少し時間がたちました。
昨年末「どうぞ良いお年を」年始に「今年もどうぞよろしく」と挨拶して歳を越してきました。毎年の事ながら期待と不安の門出です。昨年は終戦から70年、今年はバブルが弾けて25年、東日本大震災から5年。人は節目を探してはそこに心の傍線を引き「今年こそは」と誓いを立て、目標に向かって歩き始めます。私も1月4日に明治神宮の玉砂利を踏み拝殿に向かい、大勢の人たちと並んで何がしかの誓いを立て虫の良い「神頼み」をしてきました。




私は昭和23年から昭和31年まで杉並区西荻窪南口近くで育ちました。駅前の小さな貸家で空襲には遭いませんでしたが当初、ガス、水道はなく七輪での炊飯は私の役目でした。
浅川行(現高尾の旧駅名)の列車は、時折蒸気機関車が黒い煙を吐き蒸気の音を響かせ新宿から立川まで東西一直線の中央線各駅は夏場のこの煙を嫌い、煙のこない駅南側から発展してきたと聞かされました。
敗戦で燃料すら乏しく、後ろに釜をつけた木炭バスが西荻と荻窪の間をブファブファと走っている時代でした。戦前の状態を保っているこの街には広大な屋敷とバラックが混在し、貧富の格差は今以上だった様に思いますが比較や差別といった意識はなく、物にあふれた今の時代より幸せな時代だったのでは無いでしょうか。


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さて、表題ですが人類が樹上の猿の仲間と別れ、地上に降りて最初にとった行動は建築です。降り立った場所にある木や石や土などで囲いを造り屋根を乗せて他の動物や自然から自らを守ったのです。
私の祖父母は空襲で全てを失い、まさしく近所の空き地や焼け残った家から木材をかき集め掘立小屋を造り一冬を越し一年余りを自作の小屋で雨露を凌いで生き延びてきました。


道に迷えば出発点に戻って再び歩き出す。つまり原点を知っていることがいかに大事なことか、南極越冬隊の一人の死者は小用を足す為、基地の小屋から10mはなれて帰れず、遭難しました。小屋の前に明かりひとつ置けば助かった筈です。


昨年、古希を迎え今年は原点に返って来し方行く末をもう一度見つめなおす年にしたいと思っています。人は誰でも原風景を持っています。それはいつか帰りたい場所なのでしょうか。それとも心の中にある憧れの故郷なのでしょうか。子供のお絵かきの様な絵をもう一枚添付しますが、山裾に煙たなびくのどかな田園風景の夢をしばしばみます。


故郷のない東京育ちの私にとっての夢の中の原風景です。


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敗戦とバブルとその後の価格破壊の時代を生き、我々は多くのものを失いました。「人は欲望を叶えれば叶えるほど不機嫌になる。」昔読んだ誰かのエッセイの一文です。確かに日本人は怒りっぽくなり自分の事しか見えない人が多くなった様に思います。


殺伐とした世の中だからこそ原風景の中に心を宿し、もう一度見つめなおしたいと思います。卒業式の日にいじめっ子で人一倍のガキ大将が誰よりも泣いていました。この泣き虫とは今でも親しくお付き合いしておりますが、昔を懐かしむと同時に飾り気のないこの時代こそが私の本当の原風景か、とも思えます。






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